「読書」というと、ふつうは「本を読むこと」を指す。でも、ソフィーで言う「読書」は「本を読むこと」を指さない。ソフィーで言う「読書」は「本を通して世界を見る」ということを指す。例えば、”Evolve Your Brain: The Science of Changing Your Mind“という本には人間の脳や体に関する驚くべき事実がたくさん載っている。ひとつ例を挙げる。
人の細胞は一秒間に10万もの化学反応を行っている。そしてそれが70-100兆ある人間の細胞全てで行われている。(同書、40ページ)
この事実を見て単純に知識として理解し楽しむのが、ふつうの「本を読むこと」。
それに対し、この事実を知りその事実を元に自分の体を眺め「想像を絶する数の化学反応が今この瞬間に起こった」ということを実感してみることが「本を通して世界を見る」ということ。そしてさらにまわりの友人や家族の体でも今この一秒にそれが何のトラブルもなく起こったことを見て驚嘆することが、「本を通して世界を見る」ということ。
しかし、私たちはどうしてもこの「本を通して世界を見る」ことに不慣れである。なぜか。それはやっぱり今までの学校教育に原因があるのだと思う。
たとえば中学で理科の時間に「花のしくみ」について学んだとしよう。そしてイラストを見て「おしべ」「めしべ」「柱頭」などを覚えたとする。でも、「本当にそうなっているのか?」とわざわざ実際の花を見てみることは、あまりしない。もししたとしても、評価されない。
小学校で日本の地理を学んだとする。そして東京や北海道などの都道府県名を一生懸命覚えたとする。でも、ほとんどの人は「ああ、あの山を越えたら、東京があるんだな。」「この方角をまっすぐ行ったところに北海道の人たちは住んでいるんだな」などとは考えない。
つまり、知識は知識として現実とは切り離して覚えたり、考えたりするのが学校教育では良いとされるのである。そしてその条件付けを何年にもわたってされるのだ。この「学校教育の呪縛」は、あまりにも体に染み付いているので、多くの人が気づかない。
もしかしたら、あなたもこの呪縛に縛られているかもしれない。だから、試しに今度本を読みながら、こんな質問をしてみてほしい。
「これって、自分に当てはめるとどういうことだろうか?」
「これって、自分の場合、どのように応用できるだろうか?」
そして、一旦本を閉じ、その新しく得た知識の「フィルター」を通して現実を眺めてみてほしい。場合によっては目を閉じることもいいかもしれない。お風呂にゆっくり入ることもいいだろう。大好きなコーヒーを飲みながら考えてみるのもいい。
そうやっていると、知識がゆっくりと頭から心、心からお腹へと降りてくる。するとその知識が「腹に落ちて」「ああ、それって要するにこういうことか」「これって、こういうことに応用できるかも知れない」というヒラメキがやってくる。